2011年 07月 24日
横浜トリパラ物語 【完全版】
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大分久しぶりの投稿ですが、皆さんお元気ですか!?
現在マリノスは首位を爆走中で、本当に久しぶりに優勝争いを繰り広げています。
さて、そんな今シーズンはトリパラを回す機会が例年にも増して非常に多い訳ですが、ゴール裏で本格的にトリパラが普及し出してから早や7年の月日が経ちました。
このトリパラのルーツなど知らないサポーターも大分増えたみたいですし、オフィシャルで販売を始めたクラブ関係者にも是非知って頂きたいと思うので、昨年フリーペーパー“ハマトラ”に寄稿した「横浜トリパラ物語」の全文完全版を今回はエントリーにあげたいと思います。
以下全文。
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恐らくアカネックスが始めたのだと思うのですが、ゴール裏の一部サポーターの間でトリパラを使った応援がチラホラ見受はじめまたのは確か04年シーズンからだったと思います。
ネット上でゴール裏の仲間内でトリパラ(確か当時はダレ傘?)を作成して購入の呼びかけをしているのを見かけたのですが、当時自分はゴール裏に知り合いも居なく、面識もないのにいきなりお願いするのも憚れたので、ネットやリアルのショップなどでトリコロールカラーの傘を探していました。
でも、意外なことになかなかあのカラーリングの傘というのが売っていなくて、売っていないなら自分で作るしかない!きっと自分みたいに欲しいけど入手できない人が他にもいるのでは、
と言うのがトリパラを製作しようと考えた発端です。
当時はハマトラSNSは勿論のこと、ブログも浸透していない時代でしたので、苦心して自作のホームページを立ち上げ、そこに掲示板BBSのリンクを張って不特定多数の匿名者の書き込みを頼りに製作本数を決めていました。
まだ当時は、本当にごく一部のサポーターしか使用していなかったトリパラですが、これがゴール裏いっぱいに広がった光景は圧巻だろうな、と想像してその自作のホームページに日産スタジアムのゴール裏がトリパラで埋まったCG合成の画像をトップ画面にしていました。
現在のゴール裏はまさにその合成画像そのままの光景で非常に感慨深い思い出いっぱいです。
選手のコメントなどで、「勝利後にトリパラで溢れるスタンドをみるのが楽しみ」などと言うコメントをみると、本当に苦労して浸透させた甲斐があったと感じます。
トリパラ製作は04年の11月から05年にかけて計4回、約1千本製作しました。
発注本数も毎回増えていき、正直なところ個人でやるには限界がきていましたので、当時のオフィシャルショップだったトリコポイントに製作・販売の全てをお願いすることにしました。
ちょうど、その頃オフィシャルでの販売の計画も聞かされましが、それを聞いた時は本当にうれしかったです。サポーター発のアイテムがオフィシャルに認められ正式にグッズとして販売される事は今まであまりなかったケースで、これで本格的にマリサポオリジナルの応援アイテムとして認知され浸透していくのだと感じました。
主に路上でトリパラの配布を行っていましたので、いろいろなハプニングがありました。
路上でバッタ物のユニフォームを売っている外国人にいちゃもんを付けられたり、警察に注意されたり、チンピラにショバ代を請求されそうになった事もあります。
その後は主にロコさぬと一緒にトリパラの普及と試合前の士気高揚、横浜市民へのマリノスのアピールを狙った“トリパラ大行進”と言うイベントを仕掛けました。
今までに、三ッ沢開催時に2回、新横浜で2回行いましたが、歩道に数百メートルに渡りトリパラが溢れる光景は本当に感動的で、特に一番圧巻だったのが「最後の横浜ダービー」の際の大行進は本当にすごい光景でした。試合前のあのトリパラ大行進からの凄まじい熱気と六万人の大声援が8-1という歴史的な勝利に繋がったのだと自分では思っています。
はじめは単純に自分が欲しいからと言う理由で始めた活動ですが、ここまでスタジアムで浸透し、横浜の応援アイテムと言えば“トリパラ”と言うくらいにメジャーになりつつあるのは大変うれしく思います。Jリーグのゴール裏はどこも似たり寄ったりな応援や応援アイテムばかりなので、横浜のオリジナリティーとしてのトリパラが確立され、今後も伝統として受け継がれていくことを願っています。
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そんなオリジナル・トリパラの製造は現在NPOハマトラが意志を引き継ぎ、スタジアムのハマトラブースにて絶賛発売中です。
現在マリノスは首位を爆走中で、本当に久しぶりに優勝争いを繰り広げています。
さて、そんな今シーズンはトリパラを回す機会が例年にも増して非常に多い訳ですが、ゴール裏で本格的にトリパラが普及し出してから早や7年の月日が経ちました。
このトリパラのルーツなど知らないサポーターも大分増えたみたいですし、オフィシャルで販売を始めたクラブ関係者にも是非知って頂きたいと思うので、昨年フリーペーパー“ハマトラ”に寄稿した「横浜トリパラ物語」の全文完全版を今回はエントリーにあげたいと思います。
以下全文。
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恐らくアカネックスが始めたのだと思うのですが、ゴール裏の一部サポーターの間でトリパラを使った応援がチラホラ見受はじめまたのは確か04年シーズンからだったと思います。
ネット上でゴール裏の仲間内でトリパラ(確か当時はダレ傘?)を作成して購入の呼びかけをしているのを見かけたのですが、当時自分はゴール裏に知り合いも居なく、面識もないのにいきなりお願いするのも憚れたので、ネットやリアルのショップなどでトリコロールカラーの傘を探していました。
でも、意外なことになかなかあのカラーリングの傘というのが売っていなくて、売っていないなら自分で作るしかない!きっと自分みたいに欲しいけど入手できない人が他にもいるのでは、
と言うのがトリパラを製作しようと考えた発端です。
当時はハマトラSNSは勿論のこと、ブログも浸透していない時代でしたので、苦心して自作のホームページを立ち上げ、そこに掲示板BBSのリンクを張って不特定多数の匿名者の書き込みを頼りに製作本数を決めていました。
まだ当時は、本当にごく一部のサポーターしか使用していなかったトリパラですが、これがゴール裏いっぱいに広がった光景は圧巻だろうな、と想像してその自作のホームページに日産スタジアムのゴール裏がトリパラで埋まったCG合成の画像をトップ画面にしていました。
現在のゴール裏はまさにその合成画像そのままの光景で非常に感慨深い思い出いっぱいです。
選手のコメントなどで、「勝利後にトリパラで溢れるスタンドをみるのが楽しみ」などと言うコメントをみると、本当に苦労して浸透させた甲斐があったと感じます。
トリパラ製作は04年の11月から05年にかけて計4回、約1千本製作しました。
発注本数も毎回増えていき、正直なところ個人でやるには限界がきていましたので、当時のオフィシャルショップだったトリコポイントに製作・販売の全てをお願いすることにしました。
ちょうど、その頃オフィシャルでの販売の計画も聞かされましが、それを聞いた時は本当にうれしかったです。サポーター発のアイテムがオフィシャルに認められ正式にグッズとして販売される事は今まであまりなかったケースで、これで本格的にマリサポオリジナルの応援アイテムとして認知され浸透していくのだと感じました。
主に路上でトリパラの配布を行っていましたので、いろいろなハプニングがありました。
路上でバッタ物のユニフォームを売っている外国人にいちゃもんを付けられたり、警察に注意されたり、チンピラにショバ代を請求されそうになった事もあります。
その後は主にロコさぬと一緒にトリパラの普及と試合前の士気高揚、横浜市民へのマリノスのアピールを狙った“トリパラ大行進”と言うイベントを仕掛けました。
今までに、三ッ沢開催時に2回、新横浜で2回行いましたが、歩道に数百メートルに渡りトリパラが溢れる光景は本当に感動的で、特に一番圧巻だったのが「最後の横浜ダービー」の際の大行進は本当にすごい光景でした。試合前のあのトリパラ大行進からの凄まじい熱気と六万人の大声援が8-1という歴史的な勝利に繋がったのだと自分では思っています。
はじめは単純に自分が欲しいからと言う理由で始めた活動ですが、ここまでスタジアムで浸透し、横浜の応援アイテムと言えば“トリパラ”と言うくらいにメジャーになりつつあるのは大変うれしく思います。Jリーグのゴール裏はどこも似たり寄ったりな応援や応援アイテムばかりなので、横浜のオリジナリティーとしてのトリパラが確立され、今後も伝統として受け継がれていくことを願っています。
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そんなオリジナル・トリパラの製造は現在NPOハマトラが意志を引き継ぎ、スタジアムのハマトラブースにて絶賛発売中です。
by tricoparasol
| 2011-07-24 19:09
| トリコ傘